サード」が公開された1978年は70年安保も終わり、成田闘争も開港と言う形で農民と学生達の敗北として終わりました。学生たちは時代に風穴が空いてしまったような挫折感や虚脱感を味わっていた時代だと思います、サードのように信じていたものに裏切られたのです。

サードの挫折感に若者たちが共感したと思います(もちろんケレンミなくさっぱり脱いだ森下愛子の裸も人気呼び「サード」は大当たりします)。


私達の世代は70年安保と成田闘争に遅れた世代と呼べる世代でした。先輩たちが夢中になって学生運動をやっていたのに自分たちが同じ年齢になると急にやる事が無くなってしまいシラケ世代とか無気力世代とかと呼ばれる世代です。あるいはやるべきことを喪失してしまった世代だとも言えると思います。その私がサードを見ると御世辞にも良い事とは言えない売春を始めましたが、その「馬鹿な事」でも現実に対してアクションを起こしました。60歳近くになりそれを自分たちよりましだったのかなと思うようになりました。


それから、自分の先輩たちが学生運動をしているのを見ていて漠然とですが大人は敵と考えていて、さらに大人とお金の関係が近似値で狡賢いもの嫌なものと言う感覚がありました

(先輩から右翼系の学生にも左翼系の学生にも自民党の代議士や右翼の大物が金を配り懐柔していた話や成田闘争で同様に反対派の農民が金で分断された事を聞いていたので)。

「サード」の中でお金(狡賢い嫌な物)のために体を売る少女(しかも飛び切りの美少女)がいる事が当時全く納得できませんでした。

しかし生きて行く上で金は必要で金は力である事を理解したら、金にしかリアルなものを見いだせない人がいてもおかしくないと考えるようになりました。

そう言う意味では当時の私よりも映画の中の少年少女たちは大人だったのかもしれません、お金は力です現実を変えられると考えたんです。


しかし、現実はそんなに簡単に行きません。お金を手に入れるためにサード達のように無謀な事(立ちんぼ)をすれば危険な事(映画ではヤクザ)がやってきます。新聞部が肉欲を求めて暴走した結果サード達の計画は破綻してしまいました。それは、政治的闘争を失い、貧困が消え始めた社会の中では若者が次に求める物がお金(物質的な幸福)と肉欲(セックスやドラッグ)であることを寺山修司が見抜いていたんじゃないかと思ったんです。
経済的に余裕を持ち始めた若者が自動車と言うおもちゃを購入し暴走族が生まれシンナーやトルエン(ドラッグ)の乱用が問題になりました。
それから1980年台の始めにノーパン喫茶とピンクサロンが生まれした。ノーパン喫茶はボトムレスの女の子がミニスカートをはきフロントとバックを客に見せるものでピンクサロンはセクシーな衣装を着た子の体を触りまくりながら酒が飲めるところでした。
バカな私はそれに通いそこで働く女の子数名が一流大学の女子学生で物質的に良い生活をしたいためにそこで働いている事を知り愕然とした事を覚えています。
バブル時代はクリスマスイブのよる赤坂や六本木の一流ホテルはカップルで満室でした。アメリカ人の宣教師がキリスト教とフリーセックスは関係がないとブチギレテいました。

私の感覚的な物ですが、そのくらいからなにか大きく変わった気がするのです。
お金は悪いものではない、セックスも自由にしていいんだ、てね。


しかし、一つの模範や規定が変わると暴走するのも人間です。

1988年のコンクリート詰め殺人事件(快楽殺人、実行者たちはトルエンと言うドラッグで完全に気が狂っていまいした、暴力とセックスに明け暮れ長期にわたり少女を監禁し惨殺した)。

80年代のバブル(金銭欲に狂い)や1997年の酒鬼薔薇事件(快楽殺人、暴力とセックスが融合して殺人への性的な快楽に狂った)。ヤクザによる地上げや闇金、3000憶以上の金がきれいさっぱり消えてしまったイトマン事件などの暗躍。

2003年に発覚した「スーパーフリー事件」(セックスに狂た)。それらはそれを象徴していると思います(自分(達)の快感や欲のためならば相手を傷つけたり死なしてしまってもかまわない。ヤクザの新聞部に対しての凶行ににてますよね)。

「サード」のラストシーンのようにゴールを喪失してしまったが走り続ける先にはノーパン喫茶とピンクサロンと80年代のバブルの狂乱に援助交際と快楽殺人鬼達と一流大学の学生達による乱交パーティーが待っていたのです。

(注意しておきますが、学生運動が良かっただとか正しかっただとかは言っていません、この様な流れになってしまったと言う事です)


私の親やその上の世代は戦争があり。戦後復興と言うスローガンのもと必死に働き努力して来たと思ます、戦時中の国家総動員体制がそのまま続いていたのです。経済の発展による物質的な幸福や社会インフラが整備され医療や福祉が充実して受けられるようになり、日本は上手くいっているはずだ上手くいっていないはずは無いと思っていたと思います。しかし、衝撃的な事件があるごとに大々的に報道され議論を呼んできました。


なぜかと思うに、彼らが怖かったからではないか?


ここで言う怖さとは狂気の殺人者や強姦魔、詐欺師、泥棒、強盗などの犯罪者に対しての恐れではなく自分たちがやって来た事が間違っていたかもしれないと言う恐怖です。

コンクリート詰め殺人の主犯の両親は筋金入りの共産党員で党務に没頭して、自分たちの子供だから大丈夫間違いは起こさないと思い込み、子育てを放棄したことにより怪物が産れた(関係者から見れば党務に熱心な夫婦)。子供が暴走を始めると見て見ぬ振りをして、最悪な事に少女が監禁されていたことも知っているのに警察に通報しませんでした。

酒鬼薔薇事件の犯人は厳しい母親の躾けや周りからのいじめにより常に心身に苦痛を味わっていました(教育熱心な母親で子供のいじめを認識していなかった)。

スーパーフリーのリーダーは土建屋の父を持ち稼業を継ぐためと暴力を受けながら躾けと土建屋の仕事を仕込まれました(星一徹タイプの激しい父親、服役後も会えば自分で手にかけると言っている)。、


バブルに踊った連中は私の見た範囲では一流大学を卒業して仕事もでき分別のある大人なはずの人間が女子高生との援助交際に耽り、会社の経費をつぎ込み享楽的な生活を送っていました(大学出たての子供に必要経費だと言って10万円くらい平気で支給されていた時代でした)。
ヤクザによる経済事件のカードの表側には必ず一流銀行や企業の重役たちが関わっていました。
一見だけでは問題の無い人達や世間では尊敬を集める人たちでした。

だから自分たちの全く理解不能な行動をする人間が何故いるのか、あいつら特別なんだ、だけど奴らの親や経済事件を起こした重役たちは変質者でもなく犯罪者でもない普通の人間でした。もしかしたら自分たちの無意識が子供や大人を壊して邪悪な精神を持った人間にしているのではないか?

私にはスーパーフリーの「ギャルは撃つための公共物」が全く理解できなかった。ポルノ映画のような物語だった。
しかし、スーパーフリーのリーダーが「セックスは好きだけど女は嫌い」という発言を聞いたときはっとしました、彼は壊てる?
セックスが好きならセフレを沢山作ります。機嫌も取らないといけないから女の子にサービスもすると思います。
要するに女の子を大事にすると思います。なのに凌辱に走ったのは女に対しての憎悪なのかな?
なぜ、普通の土建屋に生まれた男が女を憎悪する?

それとも、単純に脳にプログラミングされている暴力を良心でマスキングすることが出来なかったのかな?

快楽は理性を超える、死へ追い立てられる女

殺害・錯乱・逃走・黄泉路旅






大人が無意識に子供や未来を壊しているのかもしれない?


「サード」は寺山修司が新聞部の様な少女が売春し、ヤクザの様な邪悪な精神を持つ人間が増殖する今を予見して台本を書いたと私は考えています。

大人達が無意識に子供たちや未来を壊してしまう世の中。
そして私思うんです。いつか子供達に復讐されるって。


映画の唯一の救いは主人公がいろんな事を知ったことです。コミュニケーションしたんです。大人たちが建前の世界、こうあるんだといった社会だけではなくダークなものが実際には存在していて(たとえば、狂った奴がいる。救いようないほど不幸な奴がいる。欺瞞をばら撒く奴がいる。)その様ことを知らなければいけない。知っていれば新聞部を死なせずに済んだかもしれない(新聞部が指名したヤクザは明らかに狂っていました。しかし、この社会に狂った人間がいることを学校では教えてくれません。)

夢を追うためにサード達は売春と言う無謀なこと事を行い、少女が一人おもちゃにされて殺されて、報復の殺人を行い挙句の果てに制裁されました。ただそれでも夢を捨てずに生きようとして、どんな生き方をするのか選択しないで終わった事がとても良いなと思いました。しかし、オシの様に明らかに深い虐待の傷跡を持つ子が自殺するのは防ぎようが無いと思います。


躾けとして親や学校の先生は他人に暴力を振るってはいけない、嘘をついてはイケないと言って思い込ませますが、現実の世の中にでると暴力や嘘を仕事にしている人間がいます。
本人が思い込んでいる間はコミュニケーションにはならないと思います。私の個人的な意見ですが想像力の問題だと思う、暴力を振るう事や、嘘をつく事がどう現実に作用するのかどう縛りをかけられるのか想像する力を鍛えないといけない。例えば自分の欲を実現するために一線をなんの心構えも知恵も無いまま踏み越えればサード達のようにとんでもない事になります。サード達は余りに無邪気過ぎたんです。

自分の良心を吹き飛ばして、実際に暴力を振るえば犯罪者として制裁を受けたり、人間関係を壊したり、社会的な信用を失ったりと良い事が何もない事や自分が負い目を追う事を自覚する事がコミュニケーションすることになるのではないでしゅか。
ただ、サードの暴力はヤクザの凶行に対して責任を取らせる行為だったと思います。やむにやまれぬ状況で取った行動なのです。
だから私個人としてのサードは現実の生々しい姿を疑似体験(幾つかは追体験しましたが)させて貰った事です。
娼婦やポン引き、麻薬の売人と仲良くなったり。戦争で人を殺したことのある人の話しを聞いたり。騙されたり、脅されたり、失恋したり、女を捨てたり。男娼(女性用、女医さん専門)と半年共同生活したり。いろいろ経験する心構えになりました。
サードの夢、焦燥、孤独、悔恨、絶望、希望、再生。

新聞部の金への執着、エロス、愚かさ、女の業。

ヤクザの狡さ、嫌らしさ、欲望、セックス、暴力、ドラッグ。これらを沢山の事を見せて貰ったと思います。


それから今の10代や20代の若い人の感想を聞いてみたい気がします。最近は貧困と言う問題もあり理由は変わってきているかもしれませんが、90年代から始まった援助交際で顕在化した少女売春が今は援デリと呼ばれるようになり体を売る少女は決しって途絶えないし、
一説によると東京都内では中高生で約10パーセントが何等かのドラックの経験があると答える時代で70年代の終わりに、

もがいていた少年少女の姿がどのに映るのか感想を聞いてみたい気がします。どんな感想を持つかは全く分かりませんが、私が一つ思いつく事はサードたちが感じた閉塞感は今の若者たちでも共感できるのではと。

(それから冥途の土産にもう一度森下愛子が全裸で廊下を走るオリジナルシーンを見てみたいものですね。)


参考文献

光文社 「麻薬・脳・文明」 医学博士 大木孝介

幻冬舎文庫 「脳内麻薬」 医学博士、脳科学者 中野信子

集英社文庫 「ウェルター・サード」 軒上 泊

フィルムアート社 寺山修司全シナリオ<1> 

社団法人 シナリオ作家協会 「月間シナリオ 1978年4月号」

追伸:キングレコードで発売されたHDニューマスター版ですが、公開当時のオリジナルネガを使用と書いてあったので購入して見ましたが編集でヤクザが新聞部に何してたのか全く分からなくなっていまし、森下愛子が体張ったシーンも消えて無くなっています。購入はお勧めしません。
(調べてみましたが、どうも東陽一の撮影用シナリオに寄せて再編集されているようです。薬物の話を無理に見えないようにして逆に不自然になっています。ヤクザのセリフで薬物使ってないとあんなになりません、代わりがなかったんでしょう。
実際は東陽一のインタビューだと、その撮影用シナリオと寺山修司のオリジナルのシナリオに現場でのアドリブも含めて撮影したと言っています。やはり40年前私が見たものとは違ったものになっているのです。ちなみに、寺山脚本では新聞部は生き残ります。)

ヤクザを殺害したサードは少年院に入ります。(少年院と言うのもみそです。殺人と売春では少年刑務所行きが妥当だと先輩がいっていました。
だけど殺した相手が札付きのやくざで新聞部の体から覚醒剤がでたことと、サード自身の品性で情状酌量されたんじゃないかと。
ここは警察も裁判所も知恵があるなと思いました。
少年院と少年刑務所の違いは?と聞くと社会復帰の可能性が寛大であるか厳くなるかの違いだといわれました。)

後を追うように楽に金を稼ぐ事を憶えてしまったⅡBも窃盗の常習犯としてやってきます。

ここで少年院のボスみたいな院生ともめたり、おしと2Bの脱走事件やおしの自殺と言う示唆に富んシーンがありますが、少年院に入る前後では2つの逸話が印象に残っています。

一つは家庭裁判所の裁判官の男とサードの会話(彼は新聞部が死んでいる事を伏せています)で男が「お前が殺した人間の家族の事を考えたのか。」と責められます、サードは黙ったままでしたが、こんな事が言いたかったのではないかと思いました。

「少女に覚醒剤を注射してヤク中にして、自分の情婦にしようとしたヤクザが少女の人生とか夢とか家族とかを考えているのか。」

しかし、亡八とか外道と呼ばれる人達の仕事なのです。彼らは人を食べて生きているんです。

そして、男の返答はこうでしょうね「全てお前らが始めたあの馬鹿な事が原因なんだ。」。

そんな事はサードには分かっていました。それなのに「馬鹿な事」を始めたのは寂れた町で生きて行かなくてはならない現実を受け入れたく無かったからです、活気ある町で生きたいという幼稚ではあるけれど現実を変えたいと言う夢を持っていたからです。夢を持つ故の飢餓感があったから好きな女の子が目の前で売春していても耐えていたんだと思います。

原因はサード達の夢だったんです。
世間が吐き続けている言葉で批判してもサードとコミュニケーションする事はできません、これはこの映画のいろんなところにでてきます。
既にこの時代から大人と子供はコミュニケーションする事が出来なくなっていると寺山修司が言っている気がします。
そしてヤクザの凶行に対して大人の男の言葉は欺瞞でしかない。もしヤクザに家族がいたとして、息子を返せ、夫を返せ、父親を返せと言っても話にならない。
(女子高生を覚醒剤セックスで嬲り殺しにした男が報復されて殺されて、その家族の事を気遣うお人よしは非常に少ないと思います。)

サードはそれを見抜いていました。それでも沈黙を守ったのは自分の罪を罪として理解していたからだと思います。

二つ目は新聞部と一緒に売春していたテニス部(志方亜希子)が格子で囲まれた少年院のサードの枕元に立ち、新聞部がサードを裏切り結婚する事と売春で稼いだ金を持ち逃げした事、さらに自分の結婚を告げに来る「天井桟敷」の芝居の様な唯一幻想的なシーンです。

今まで少年犯罪のドキュメンタリーのような生々しい話が続いてきたのに幻想的なシーンを変だなと思いましたし、警備されている少年院に女の子が忍び込むなんて絶対無理ですよね。

結婚の話にしても心を壊された新聞部が突然立ち直って結婚する事は明らかにおかしいし、親や親類に強制されての結婚だとしても覚醒剤と覚醒剤セックスの味を覚えてしまった女が普通の男と夫婦生活を送るのは難しいと思います。

2016年の法務省の女性刑務所に関する資料を見ると服役者の約4割が覚醒剤の使用か所持で逮捕され服役しています(特に30歳以 下の女性に多いのです。30歳以下の犯罪全体の約5割)。さらに再犯率が異常に高いのです(再犯者の5割強)。
スピードは精神的依存が強い薬物です。何かと言うと「また欲しい」と思ってしまうものなのです。一旦辞めることはできてもやめ続ける事が難しい薬物なのです(だからヤクザは新聞部につかったのです) 。

そして女性は覚醒剤を使ったセックスでハマってしまうケースが多いのです。元覚醒剤依存の女性服役者が言いましたが一生忘れることができない快感なのです。

覚醒剤を使って怪物になったヤクザに快楽の底なし沼となった女が休まず3時間も激しく体と膣をつかわれ、気が狂ってしまいそうな快感を味わえば、新聞部は覚醒剤セックスを一生忘れることは出来ないと思います。だからクスリで女を縛る事ができてしまうのです。暴力団員が一人覚醒剤で逮捕されると芋づる式に複数の女性が逮捕されるのは警察あるある話だそうです。(数年前警視庁の女性刑事がヤクザに捜査情報を漏らしていましたが、わたしの想像だと覚醒剤セックスの味を覚えさせられて脅されていたいたんじゃ無いかと思います。)

映画のカットされたシーンのように覚醒剤で錯乱状態になるのは使い始めの奴が量を間違えた時と常習者が幻覚・幻聴・猜疑心の異常な高まりからの勘繰りなどから誘発されるそうなのです。ビギナーかヘビーユーザーなんですよね、新聞部の場合は前者に当たります。だから危険な量が使用されていると推察できます。おまけにセックスで使われる覚醒剤には勃起を促す為と女をより興奮させる為に強い興奮剤が混ぜられている物があります。ヤクザは使い慣れていたし覚醒剤セックスやり慣れていた、だからそれが使われ新聞部のダメージがより強かったのかもしれません。
錯乱だけであればある程度時間が経過すれば回復しますが後遺症(フラッシュバック)など心身にダメージを受けているはずです。そうだから結婚は不自然だと思ったのです。
だから死んで幽霊になった新聞部が、サードに嘘をつきにきたのではないか?テニス部が現れる直前のカットが少年院の水郷なんです、これは私三途の川に見えたんです。
そしてサードの「どうしてここへ」の問いかけに対してテニス部は「あっちの子に居場所聞いたの」と答えてるんです。「あっち」てなんだろう、「あっち」てあの世(彼岸)、「こっち」この世(此岸)。つまり新聞部の幽霊が三途の川を渡りサードに会いに来たんです。
テニス部の姿をしているのは自分のへまでみんなの計画を台無しにしてしまいサードに会わせる顔がないからです。
敢えて幻想的なシーンにしたのは新聞部の幽霊がでたからです。そして、サードが自分を好きな事を知っていたから、自分が既に(おそらく心不全で。新聞部は錯乱を起こしています、覚醒剤による錯乱は周りの人間が危険ですが本人も危険なのです(覚醒剤による錯乱がいかに危険なのかは深川通り魔事件を参照してください)、覚醒剤の症例の斜め読みですが錯乱を起こすと急性心筋障害による心不全を発症するケースが結構な確率であるそうです。
その様な状態になると助けようがない。死んでいた事を隠すため(少年院では少年の更生のため親の死、友人の死と言った様な少年にショックを与える情報が伏せられる事があります)、サードが自分を責めないように嘘をついたんです。
私のことは忘れてと、
新聞部は既に死んでいるのです。私はそのように想像しました。

ヤクザは発狂した女子高生を見て、大笑いしたんだろうか?

1時間の約束なのに2時間たっても3時間たっても終わらないのでサード達がヤクザの部屋に乗り込みます。
そこでは覚醒剤をきめて禁忌や恐れや哀れみを捨てて疲れを知らない暴れ馬になったヤクザが、強欲で狂暴なペニスで全身性感帯になった新聞部の体を引き裂き、残虐性を開放して終わらないセックスを夢中で楽しんでいました。
(ヤクザとのからみでなにを描いているのか最初に気がついたのは暴力団と警察だったそうです。1980年代にヤクザに騙されて覚醒剤セックスするという 裏ビデオがあったそうです。)

サードが乱暴にドアを叩くと褌一つで全身汗まみれのやくざが現れ「まだ終わっとらんのじゃ。」「なんじゃ、おのれはこれからちゅ時に。」とぬけぬけと言います。(女の子が危なくなってるのにまだやるて言ってるんです。このヤクザ完全にぶっ壊れています)。
サードが様子がおかしい事に気が付き「金返すから女を返してくれしてくれ」と訴えますが、手に入れたセックスの最高のおもちゃを取り上げると言われヤクザは逆上します。
そして殴られながら部屋に飛び込むとそこには全身汗まみれでトロンした目、意識障害を起こして自分がどこにいてなにをしているのか分からなくなっている新聞部がいました。(危険な状態にあります。救急車呼ばないと多分死にます)。
覚醒剤は快楽を伝える神経(A10)と快楽と欲望を司る快楽中枢(視床下部)を暴走状態にします。また、それだけでなく生命維持活動を司る神経も暴走し働きを阻害したりします(特に循環器系)。それが原因で心臓や中枢神経にダメージを受け命に係わる事もあるのです。押尾学事件がそうです。欧米ではlove pill と呼ばれる覚醒剤(アンフェタミン)と組成のよく似たMDMA(メチレンジオキシメタンフェタミン)の過剰摂取によりホステスの田中香織さんが死亡した事件です。
(追記:薬物に詳しいライターに聞いたのですが製薬会社で製造されたエクスタシーで人が死ぬことはほとんど無いそうです。それに田中香織自身が暴力団幹部や財界人を相手にするベテランの高級売春婦でエクスタシーの使い方とか熟知していたはずです。だから覚醒剤やコカインなどの危険度の高いものが使用された?当時の新聞記事を当たって見ましたがMDMA(エクスタシー)の記述しか見つけられませんでした。なにか胡散臭い物を感じます。
追記2:ヨーロッパでは乱用者むきにMDMAの含有量けた外れに多い、麻薬組織が製造するエクスタシーが問題になっています。
製薬会社で製造されたエクスタシーの感覚で使用してODを起こす事故が多発しているので注意してください。)

薬を使い慣れたヤクザがお酒も飲んだことの無い少女に使たんです。一つ間違えれば女の子の命に関わるのに。
このやくざは自分の欲のためにそれが出来る人間なのです(狂ってますよね、狂人は自分の狂気を自覚しない女の子をズタズタにしても笑い話や自慢話なんです。先輩は自分の父親は野獣だと言っていました。アウトロー界隈には人の命なんかなんとも思わないが人間います。)
サードは二人の多量な汗と焦点が定まらない新聞部の目を見て覚醒剤を使われた事に気が付き、新聞部を何とか助けようとしてヤクザと取っ組み合いになりラジカセでヤクザ殴り殺してしまいます。矛盾するかもしれませんが新聞部が好きだったから、だから必死に守ろうとしたのです。新聞部にされたことを悟って殺意を持って殺したのです。

ここのシーンなのですが、名画座で見たときは覚醒剤でむしばまれ長時間のセックスに狂っていた新聞部が、目の前でサードがヤクザを殴り殺す所を見て錯乱を起こしてしまいます(中枢神経が暴走状態で意識を飛ばしていた所に殺人というショックを見せられ、神経が再び一気に暴走し精神が限界を超えて狂ってしまったのです。このような時に循環器系にダメージを受け死にいたるケースがあるのです)。連れ出そうとするサードの腕を振りほどいて全裸で部屋を飛び出し悲鳴を上げながら半狂乱で廊下を走り転ぶシーンがありました。しかし、ベッドシーン同様後年発売されたビデオテープやDVDでは無くなっています。サードがヤクザを殺害するシーンと「逃げるぞ」と促されてアパートを裸で出てゆくシーンの間に入っていました。

初めて見た時は悲劇だと分からなくて、とにかく森下愛子の体が綺麗でエロで私は大興奮しました。自業自得と言ってしまえばそれまでですが「町を出たら女優になりたいの。」と無邪気に言っていた少女の無垢な夢や憧れが砕け散るようで、ヤクザに壊された美少女が惨めで哀れで悲しくて、女の業の浅はかさや全裸で廊下を走る滑稽さで私は初見でカタルシスを感じてしまいました。新聞部の綺麗な肉体がヤクザの暴力で壊されて行くさま何とも言えない感情が沸きました。
私は全裸でヤクザのアパートから逃げ出すシーンが「サード」と言う映画の一つの主題だと思ったんです。子供達を欲望の対象としてしか捉えられない人間がいる。そして別な人間は子供達を見捨てている(使い捨てにしている)。
エロティックで悲惨で残酷、ヤクザの闇が(欲と狡さと狂気)少女を壊して殺してしまったのです。
このシーンが無いと映画に対しての印象が変ります。新聞部が覚醒剤を使われた事が分りにくくなるし、新聞部の気が狂った事が分からなくなります。
そして、何よりも少女に起こった悲劇がわからなくなります。
初見の時はなぜヤクザが殺されなければならないのか、なぜ新聞部が裸で廊下を全力疾走したのか理解できませんでした。ただ漠然と怖いからだと思っていました。しかし、先輩に説明してもらい理解することができました、新聞部は狂ってたんです。サードがヤクザを殺さなければ終わらないキチガイセックス、ヤクザは殺されても文句の言えないことをしたのです。)

峰岸徹と森下愛子のベッドシーンは覚醒剤セックスを描いたんですが、上映禁止を防ぐためわざと分かりにくく作ってあります。おまけに汚れ役を美少女女優がやったとんでもないシーンなのです。(はっきり東陽一自身が森下愛子がヤクザに麻薬を使われたように演じてくたと言っています。東陽一の年齢的に青春時代ヒロポンが流行っていたので知識として持っていて、正確に覚醒剤の作用が描かれています。)
太宰治や田中英光、坂口安吾、織田作之助などの昭和の著名な文士がヒロポンなどの薬物中毒になりながら文筆活動をしていた時代です、戦争に使っていた覚醒剤が大量に市民生活の場に流れ込んでいた時代でもあります。

暴力を職業にしているやくざのセックス、女の喜ばし方も上手でしょう、より暴力的にする覚醒作用から覚醒剤暴力セックス=女性への暴力=狂った最高の快楽に見えてしまいます。(後年発売されたビデオテープやDVDでは森下愛子と峰岸徹のベッドシーンが大幅にカットされています。汗でギラついた夜叉の入れ墨が彫られたヤクザの背中が新聞部の体にのしかかり体を貪り新聞部が喘ぎ狂うシーンや新聞部が泣きながらイクシーンなどの強烈なシーンがカットされています)。

羅生門の多襄丸が真砂が欲しくなったようにヤクザは美少女である新聞部が欲しくなったのです、ヒモも若造だから舐めていたのでしょう覚醒剤セックスの虜にして自分の物にしようしたのです。本当に覚醒剤セックスは女性の精神を壊してしまいます。手に入れるためならばなんでもするようになるんです。
ヤクザはなぜこんな発想ができるのか、それは裏の社会では女性は消耗品なんです(先輩の弁だと自動車のようなもの、古くなったらのりかえればいい。もちろんそうじゃない人いるけど)。ヤクザの世界は完全な男社会のなのでそこで女性が生き残るには男に本当に気に入られるか、戦って勝ち残るしかないのです(これも先輩の弁です)。

数十年前東南アジアを長期旅行して売春婦たちが覚醒剤やヘロインのようヘビードラッグを恐れている事をしりました。ベトナム戦争の荒廃でドラッグは彼女たちの身近にありました。破滅する人間を身近に見ているから恐れるのです。でも強いのをやる子は僅かにいて大体周りから嫌われます。
ヤクザのように女の子に使う乱暴な客に対応するため売春宿には警備員と言う用心棒が居ます(あの時代普通に拳銃とかを携行していました)もしヤクザのように女の子に使えば命に関わります、このヤクザは相手が素人だと見透かして覚醒剤を新聞部に使ったのです。

しかし、その時見た森下愛子は真砂のような魔女で男を狂わせて破滅させるような妖艶で野性的な魅力を放っていました。ATGの映画はお高く留まった芸術作品と批判する人がいますが「サード」に限ってはそうでは無いと思います。生々しい欲望や女の業、精液や愛液に汗や血の臭いを感じます。監督の東陽一と撮影の川上晧一はドキュメント畑の人だったので虚構の中にリアルなナマモノの人間を見せてくれました。

新聞部はヤクザや客の男達に殺されたんです。

危険で無謀な事をしていたから当然の報いだと言えなくもないですが、映画の中で新聞部やテニス部を買うのは一般のサラリーマン風の男やおやじ達です。

「何時か危ない思いするかもしれないから、止めた方が良いよ」とか「今日は楽しませて貰ったけど、君みたいな若い子をいつまでもこんな事続けないほうが良いよ。」とか要するに危険だから止めろと言う大人がいません。

結果、サード達の暴走は続き新聞部が肉 欲を膨らませ自分の意思でヤクザを客として選択してシャブセックスでぶち壊され結果死んでしまうのです。

世の中には危険な事は山ほどあります、糧を得ている仕事さえ危険な場合があります。なのにこの映画では大人が無知な子供あるいは無知だと自覚していない子供に「危険な事」を説明する場面はありません

(サードだけは「馬鹿な事」を自覚していまいしたが)。

これを見て感じたのは人間が人間を使い捨てにする世の中で無知な人間はどもまでも無知で、どこまでも利用される社会の力学みたいな物を感じたからです。利用する人間から見たら利用される人間はどうなろうと知ったことではありません。「あいつが馬鹿なだけだ」で全てを済ましてしまいます、つまらない入れ知恵はしてくれないのです。


例えばヤクザが注射器と覚醒剤を新聞部に見せてこう言ったとします。

「これやってセックスすると最高なんだ。」

「それ麻薬でしょう。」

「大丈夫だよ、一回位やっても中毒なんかにならないよ。」

ちょっとベタかもしれませんが、セックスの楽しさを覚え始めた小娘がもっと気持ちよくなるよと囁かれれば乗ってしまうかもしれないし、強面のヤクザに脅されれば注射で体に入れられてしまうと思います。

それは無知だったからです、暴力団員が危険な人間であることや女を釣るのに薬を使う事も知らないし、覚醒剤が危険な物と言う知識が少しでもあれば危ない物と自覚して逃れられたかもしれません(映画になりませんけどね)。

逃げていれば死なずに済んだかもしれないし、生きていても一生の十字架を背負わず救われたかもしれません。しかし、はっきりと映画の中では描かれていませんが哀れな死を迎えていると思います。



Return

サードのこの夢は新聞部(森下愛子)の死を暗示していると思います。

「あの人がいい。」の無邪気な一言が悲劇につながる。



サード達が町を出ていく話し合いのなかで、手っ取り早くお金を稼ぐ方法として売春を新聞部とテニス部の方からサードに提案する。

サードが「大根売るみたいに言いやがった。」と映画の中で言っていたが少女達はお金以外にリアルなものを感じられないから自分の体を売ってもお金が欲しかったのだ、学生時代に同世代で売春をやっている子もいたが少女売春が顕在化した90年代の援助交際から現在のJKビジネスに至るまでの少女達の正直な気持ちだと思う。やり方が洗練されているか下手なのかの違いだけの気がする。

世間知らず故なのか高校生なのにサードとⅡBは客を選び、キチンと交渉して商売として成立させる。そして勤勉に売春と言う仕事をこなすうちに新聞部が少女からセックスのできる女に成長する。

セックスの快楽とお金の有難みを知り、男を知り男の扱いかたを身に着けてゆく。

(こんな美少女二人が立ちんぼをやっていればスゴイ事になると思うのですがそこは映画の都合として)


思い出した。連れ込むときヤクザは本当に嬉しそうな顔をしていた、部屋に入るとミミズクかフクロウか分からないけど剥製が置いてあって獲物を狩る目で新聞部を見つめている。

そして、やくざが同じ目で新聞部を睨んでいたことを。(安アパートに剥製なんか不自然だ。それに不似合いな高級ウィスキーの瓶が並んでいる。先輩が言ったように警察の手入れ対策の倉庫なんだ。)

「それってどうゆう事なんですか?」無知な私は尋ねた。

「脚本の寺山修司、ヒロポン世代だからよく知ってたんじゃないかな。覚醒剤を使うと男は勃起しにくくなるけどヤクザは使い慣れてたんだろ、一旦立つと射精しにくくなるし凄い快感を味わえるんだ。女も同様に快感を司る神経が興奮して何度でもイケル。

おまけに男も女も長持ちするんだよ。勿論、体質に合わない奴もいるし個人差もあるみたいだけどね。」

「そうなんですか。」

「薬を使って女を自分に縛りつけるんだよ大藪春彦の小説なんかそんな話ばっかだよ、女とクスリと銃。覚醒剤使ってセックスすると女は奴隷になっちゃうていうもんな。薬を使って女を釣るのは外道の常套手段なんだ。そしてなんでも言う事聞くから体売らせて搾り取るんだよ。」

(映画・「蘇る金狼」の中で主人公が女を釣るためヘロインぽいものをデート・ドラックに使いセックスします。松田優作と風吹ジュンの熱演でなかなかのシーンになっていますが男が使ってなくても生でやると女の体液から男も効いてしまい危険らしいのですがね、後そもそもの話ですけど薬で狂ってる女をしらふの男が相手にできないと思います。)

先輩は続けた。

「サードたちがヤクザの部屋に乗り込んだ時に新聞部の目が焦点が定まってなかったろ、覚醒剤は瞳孔の動きを阻害するから焦点が定まらならなくなるんだ。それにどんなに絶倫でもドラッグ使わないで連チャンで3時間もできないよ。」



「それからサードがヤクザに掴みかかるところも不自然だったろ。異様に汗まみれで森下愛子がメロメロになっているところ。

覚醒剤やると新陳代謝が激しくなって多汗になるんだ。だから俺思うんだけどサードてヤクザの子供で覚醒剤やるとどうなるか知ってたんじゃないのかな(原作では農家の長男坊になっています)。」

断っておくが先輩は父親の姿を見て育ち、やくざを心底嫌う完全な堅気だ。

覚醒剤て人間の精神や体をばらばらにするものだから、お前も絶対あんなもんやるなよで話が終わったが、その後レンタルビデオ屋で借りて見直してみた「三面記事の数行の記事の裏側で起きている現実」と先輩が言ったことが正鵠を得ていると思った。



その職場には6年間勤めた後に念願の写真学校に通った。当時戦場カメラマンの沢田教一や一ノ瀬泰三に憧れていた私は翌年の夏休みにベトナム戦争の残像が残っている東南アジアに撮影旅行に出かけて、若気の至りと言うか当時のフリーの報道カメラマンてガンジャや女くらい知ってないと一人前でないというような荒っぽい風潮があって(クメールルージュ・ベトナム軍・タイ国軍の戦闘地域で取材する人。ミャンマーの少数民族支配地域に潜入する人。黄金の三角地帯の麻薬ルートを追いかける人。要するに命知らず、今では考えられないような人がいました。
友達になったホテルのボーイ(軍事政権時代に警察に何度も引っ張られた元運動家でした)人生変わるよとか経験だといわれガンジャとガンジャ好きな女の子用意してくれて、女の子と決めてやったんだけど女の子おかしくなっちゃって、半立ちだったけど挿入したら悲鳴あげられて若造だった私は本当にでびっくりした。)
女の子の様子がヤクザとセックスしている時の新聞部にそっくりだったのであのシーンすごいリアルなんだとその時認識しました。
(ガンジャもセックスの快感を増幅するけど効き方が柔らかいし、人間の精神を壊す様にならないです。私の経験ですけど嗜好品と薬物の中間くらいの感覚です。依存性もお酒なんかよりも低いし、やめようと思えば止めれるし、あればあったで良いなと思う程度です。
だからそれで危ない橋を渡ろうとは思いません)
(思い出ですけどこの事件と、クメールルージュに最愛の父親を目の前で殺された少女と出会った事。
そして思ったのです麻薬が無くならない理由にこの世に凄まじい苦痛があるからそれをそれを癒す快楽を人間は求めるからだと。
傭兵として戦争で何人もの人を殺した食堂の主人、思想弾圧で共産主義者を何人も射殺した警察官、安宿の人の好さそうなボーイが若い頃徴兵されイスラムゲリラと殺し合いをしていたこと。みんなそれぞれに心に傷を持っていました。
こんな人たちから話を聞くにはお酒やガンジャが必需品でした。
ガンジャの快楽とどす黒いこの世界との凄いコントラストを目の当たりにしておかしくなり売春街に沈没してしまいました。
しばらくして自分には報道カメラマン向かないなと思い日本に帰り。ヌードやポートレートを撮るキッカケになりました。)

昔、人生最初の転職した会社でよく面倒を見てくれた先輩がいた。付き合っていく内に先輩の死んだ父親が暴力団員である事を知った。

それを知って彼に興味をひかれた。当時の私は全くの世間知らずで不良や暴力団員は教育が無く無知な連中ばかりだと思っていたが暴力団員の息子が流暢に英語を話し、英語の読み書きの仕事をするのが意外に思えたからだ(彼の育ての母親が躾と教育を与えた)。仕事はアメリカ海軍の航空母艦の改修工事を請け負った日本の造船会社が作った、資材の調達や工程の管理を行うJVだった。

大学時代はどこのセクトか分からないが運動家で機動隊とやり合い、大学を卒業したあとはアメリカに留学して日本に帰ってから高校の英語の教師をしていたが、教師の仕事が体質にあわずその会社に転職して来たのだといっていた。

そして、とにかく酒が好きでよく一緒に飲みに行きアメリカの生活や学生運動の話とかをしてくれた。

そんな話をしている時にATGの東陽一監督の「サード」(永島敏行主演)に出演した「森下愛子が可愛かったな」と言う話になった(脚本はあの寺山修司だ)。

私は映画公開時は見る事ができなかったが二十歳前後に名画座で見て、飛び切りの美少女だった森下愛子が惜しげもなく見せてくれる裸に興奮して股 間のものを固くした。しかし映画全体に流れる挫折感や閉塞感にやりきれなくなった事を憶えていた。


*簡単にストーリーを説明すると地方の寂れた町の高校の野球部でサードを守っている少年、あだ名が「サード」と呼ばれる妹尾新二(永島敏行)が友達のⅡB(吉田次昭)と女友達である「新聞部」(森下愛子)と「テニス部」(志方亜紀子)たちと意気投合してみんなで寂れた町を出て活気ある町で生活しようと、そこに行けば人生の目的がみつかると資金稼ぎのために売春を始める。そして客の「やくざ」(峰岸徹)とトラブルになりやくざを殺してしまい少年院に行くと言う話だ。(映画は少年院の日常から始まりサードの過去の体験へと進む。)

付け加えると「サード」と言うあだ名は相手チームの選手がサードを回りホームに返ってゆく様を見つめるしかない「サード」の取り残され感や孤立感を象徴している。



「やくざが森下愛子を買って薄汚いアパートに引っ張り込むだろう、あれってすごく不自然なんだよ。」と先輩が言った。

「どうしてですか?」

「やくざは見栄っ張りだからちゃんとしたホテルに連れてくよ。だいたいあんな高級スーツ着たヤクザがあんなアパートに住んでるわけない
ヤクザの収入てすごいんだぞ。」(地上げ屋や闇金をやっているヤクザの平均年収が2000万から4000万と言われたとき驚きました。薬物を扱うとさらに上がるそうです。チンピラは別です。)

「それに新聞部を見るやくざの顔見たかよ、あれは新聞部が欲しくて欲しくてたまらない下心丸見えの顔だよ、だからスピードがあるブツの倉庫兼ヤリ部屋のアパートに連れ込んだよ。」(先輩曰く組事務所に置いておけないもの薬物や拳銃なんかを目立たないアパートやマンションに置いておく倉庫。また、薬物セックスなんかを楽しむためのヤリ部屋として利用するそうです。ホテルだとなんで足がつくかわからないから。)
「スピードて何ですか?」

「馬鹿、覚醒剤の事だよ。」



森下愛子さんの錯乱して全裸でアパートの廊下を走るシーンはとにかく鮮烈でした。
今考えるとヤクザと呼ばれる裏世界の闇が人を壊し社会を壊す事を丁寧に説明してくれていた気がします。
その体を張って演じてくれた重要なシーンもカットされて見れなくなってしまいました。覚醒剤で気が狂った全裸の女のシーンは今の映倫では認められないのかもしれません。

でも偶然借りたDVDの中にそれと似たシーンを見つける事ができました。「永遠の仔」と言うドラマで少年時代の3人の主人公が出会うシーンです。
三人はあだ名で呼び合うようになります。dolphin(イルカ、小説とドラマの中ではドが取れてルフィンになっています。女の子)、giraffe(キリン、男の子)、mole(モグラ、男の子)。
設定もストーリーも撮影場所も全く違うのですが共通しているのは大人に壊された少女の悲劇(ヤクザに覚醒剤を使われ狂死する女子高生、覚醒剤とセックスと死のリアリティ。父親にレイプされ気の狂ってしまった女の子、セックスとPTSDと死へのリアリティ)、見ていてエロくって美しくって痛々しい映像なのです。
(個人的な意見ですけどこのドラマのスタッフも演じた女優もサードの森下愛子さんへのオマージュをしていると思います。)
摂食障害と不登校を治療するために児童精神病院に面談に来た少女が面談を抜け出し海岸に来ると、突然全裸になり入水自殺を試みるのです(苦痛からの解放、つまり快楽を求めて)。信じられない話ですが彼女は実の父親に再三性的虐待を受けて重度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)になり自殺願望を常の持った子だったんです。
しかし、偶然精神病院に入院する患者であり、親からの虐待を受け障害を持つ二人の少年がそれを目撃します。二人は少女の美しさに驚愕し自分たちを救いに来てくれた人魚だと思い海の中までも彼女を追いかけてくるのです。
「人魚」とか「僕たちを救ってくれ」とか叫びながら自分を追ってくる少年たちを見てはっと我に返ります。そして、自殺を思いとどまり砂浜に脱ぎ捨てた服を拾いながら去っていくシーンです。
この時代PTSDと言う病気があることはに認識されていませんでした。

ヤクザは気分爽快、体中に力がみなぎり、ヴァギナを貫く暴力とその対価として味わえる増幅された快感に完全に夢中になっていた。
新聞部は混濁した意識の中休むことなく、この世の事とは思えないような快感の大波を3時間にわたり受け、意識が飛んで抵抗することも逃げることもできなかった。
長時間激しく膣を使われ下半身の感覚を失い、快楽中枢の暴走で危険な状態になっているのにヤクザは辞めない。
そして殺人を目撃し、錯乱を起こし廊下を全裸で半狂乱で走ったが膝から崩れ落ちてしまう。

心と体をズタズタに壊されて意識朦朧として足元がフラフラの彼女をサードは抱きかかえてにげたんだ。
親の保護の下育てられたサード達が社会の闇を味あわされた瞬間だった。

動画が見れないときは、FireFoxかIEでためしてください

魔女になった新聞部にヤクザは夢中になってしまった。

火のような欲望で女の肉を食らった。

終わらない覚醒剤セックス

新聞部はヤクザに覚醒剤を注射されて覚醒剤セックスを強いられ、オーバードーズで殺されます。
去年94歳でなくなった父親に生前話したらどんなに惨いことされたのか直ぐにわかってくれた。彼の青春時代、戦後の混乱期、日常的にヤクザが家出少女に薬をつかい売春婦に仕立て上げる事が起こっていたと言っていた。
当時、横浜の三菱ドックに勤めて夜間の工業高校に通ってた父は試験勉強の時ヒロポンを飲んだと話してくれた。
アッパー系のドラックの経験者は私の説明に直ぐに納得してくれた。

彼岸花・見つめる新聞部,いずれそちらにいくので
ナパーム弾誤爆事件、UPだったかな。
沢田教一の有名な写真です。
この二枚は一ノ瀬泰三、カンボジアに潜入していたころ。クメールルージュに銃殺される直前の写真です。
韓国の虎師団の蛮行です。これもUP
だった思います。

新聞部は肉体を意識し、女になり始める。

そして女は経験を積むうちにセックスの快楽を求めるようになる。ヤクザ(峰岸徹)を見て新聞部が「あの人がいい。」と女の方から客を指名してしまう(売春を始めた時はTシャツにジーンズでしたがこの時には上等な服を着ています)。

サードが「ヤクザぽいぜ。」と躊躇するが「わたしがいいと言ったらいいの。」とサードを説き伏せてヤクザを客にする。(肉体労働者の人とのセックスて最高よと話していた元売春婦や、Sの人とのセックス楽しいとあっけらかんと言ったモデルがいたが、女は経験を積むと暴力的な男はセックスが良いと嗅ぎ分けるのですね。新聞部は頭あんまり良くなかったけど美人で良い子でした。
しかし、この時はお金とセックスに狂い始めていたのかもしれません)

そしてホテルにではなく薄汚いアパートに連れ込まれますが、新聞部の事が心配なサードはどこに連れて行かれるのか最後まで見とどけます。(この時点でサード達はこの男の目的に気が付かなければならなかったのです)

「いつまで付いてくるだよ。」とヤクザ、「仕事ですから。」とサード。(ヤクザはサードをまこうとしました。しかし、最後までついて来たのがこの男の運の尽きでした)。

ヤクザ役の峰岸徹は現実の世界でもアイドル岡田有希子をもてあそび自殺に追いやっています。

新聞部が不運だったのは相手のヤクザが覚醒剤セックス狂いのとんでもないサイコ野郎だった事だ。



バンコク時代に騙されて覚醒剤セックスに付き合わされた元売春婦からの話を聞いたことがあります(彼女はしらふでした相手の客は日本人だと言っていました)。いくらたっても終わらずただ膣を使い続けるのでヤーマー(興奮剤混ぜて勃起しやすくした錠剤タイプの覚醒剤)やってると気が付き、酷い目に会うと思い逃げようとしましたが髪の毛を掴まれて抑えつけられ容赦なく5時間続いた。5時間ですよ5時間づっと女を押さえつけ腰を使ってたんです。
快楽中枢(視床下部)と暴力を司る中枢(側坐核)は快楽伝達神経で繋がっているので男性は覚醒剤セックスの時物凄く攻撃的になります。同時に疲労感を全く感じなくなり増幅されたセックスの快楽はもちろんですが暴力的な嗜虐性に精神が支配されます。つまり女を貫く暴力その物に喜びを感じ、実際に女が暴力を受けることもあるのです。本当に辞めらなくなり、何時間も女の肉体を貫く化物になります。
女の方は快感の波が貫かれる度に増幅されて打ち付けるので抵抗することができなくなり男のなすがままの人形のようになってしまいます。)
その子はボロボロになりながらなんとか耐え抜いて服を取ろうとベッドからでたけれど下半身に力が入らず崩れ落ちてしまう。それを見ていた客が腹を抱えて大笑いしたそうです。そのとき覚醒剤やるやつは人間じゃないと思ったと言ってました。。
(この男巧妙で店の若い衆が仕返しにいったけど逃げた後でした。)

女子高生はこれと同じ事をされたんです。しかも覚醒剤を打たれて。

彼女は賽の河原に行くのかな