現実を記録するのが写真ですが、鈴木清の写真は現実を受け止めてそれに自分の思いをのせるのです(これはうそを作るわけでは無いのです)。土門拳のドキュメントが「非演出の絶対的なスナップ」(現実の冷徹なまでのリポート、「筑豊のこどもたち」のるみえちゃんの空ろな瞳はやりきれませんが)とするならば、鈴木清は「自分の気持ちを現実に投影してとらえるスナップ」ではないでしょうか。これって現実に対しての批評を写真にした現代アメリカ写真の祖ロバート・フランクに似ていると思います(空っぽなハイウェーの写真はスイス人・異邦人である彼が受けたアメリカ文明の虚構性を見事に表現していると思います)。鈴木清はドキュメンタリーの作家というよりも、フランクの後に続く現実に対しての批評精神旺盛なアメリカの現代写真家リー・フリードランダーやゲリー・ウィノグラント、ダイアン・アーバスと同じ系列の写真家だと思います。
鈴木清の投影するものは批評というよりも心の奥深くに眠る記憶であったり、路上のホームレスや娘さんに対してのやさしさ・いとうしさであったり、写真集「ブラーフマンの光」にあるような人間は地上の征服者ではなく動物や植物と一緒に自然に生かされているというインド的な思想であったり。(ロバート・フランクとは個人的に鈴木清氏と交流があったとのことなので、頷ける気がします。)
「天幕の街」はまるでファンタジーの世界です。鈴木清が子供のころ見たであろうサーカスのテントが非常に印象的なシンボルとなっています。そして天幕の街の住人たち(小人のレスラー、馬術師、空中ブランコ乗り、ピエロ、ジャグラーetc)、きらびやかなショー(猛獣使い、軽業師の命がけの曲芸、手品)はその場と鈴木清氏の精神とが同調しているのではないかと思えるほど印象的な写真になっています。そして、その根底に流れているのは豊かな詩情です。一枚一枚が詩篇のような写真。
鈴木清の子供のころ持ったサーカスに対しての純粋な驚きや憧憬、大人になってからの自分の周囲の人たちに向かった温かな視線から生まれていると思います。彼の写真がすんなり私たちの精神に入り込んでくるのはそんなところからではないでしょうか。
大変残念なことに鈴木清は2000年に亡くなられました。でも、鈴木清氏の写真は、言語や人種を超えて人の心に入ってくるものです。近年オランダやドイツでの回顧展など鈴木清の写真は国際的に評価されています。私も国内での回顧展と、鈴木清の国内での再評価がもっとあればと思います。
ここまで読んでくれた方、ぜひ回顧展あるときは足を運んで見てはいかがでしょうか?写真の危機といわれる昨今、これは写真表現の可能性にみんなが気づいていないからだと思います。日本にこんなにすばらしい写真家がいたこと、写真の可能性はまだあることを,気がつきに写真展行くのもよいのではないでしょうか。
でも、まとまって写真をみて見たかったので写真集を購入しました(さらに言うとゼミの先生たちのなかで一番写真集をだしていたことと、写真集三冊で7千円は安かったからですね)。
その後は、卒業制作やら卒論で大忙しになってしまい写真集も本棚の奥に埋れてしまい、卒業はしたものの写真で身をたてる事を以外にあっさりあきらめて。社会はバブルのはじめのころで就職に困ることもなく普通のサラリーマンになりました。
それから十年の月日が流れ、バブル経済も崩壊し、2000年を過ぎたころでしょうか友人の死(企業戦士の殉職)をきっかけにまた写真を撮り始めたとき本棚の奥にあった鈴木清の写真を見直しみて、この写真集の本当の価値をその時理解することができました(彼はぜんぜん古くなかったのです)。
特に天幕の街は鈴木清が写真集のなかで自分の子供時代、父親を含む炭鉱夫たちの唯一の楽しみである競輪の帰りにつれていってもらったサーカスのこと、「昭和20年代炭鉱に育った私の昏いこどものころへ、記憶の壁をつたってゆくと、思い出のかなたにサーカスがあります。(中略)虚飾と仮象とをこども心に漠として感じた市街の空き地にかかったあの天幕はいまだに鮮明なのだ。」のことばに、自分の子供時代の記憶と鈴木清の言葉とが重なりあい扉が開きました。
母親につれていってもらった夏祭りの夜店の輝き。家族で出かけた花火大会。あの時の、あのわくわくし、期待を膨らました子供だった自分。それと同じように父親に連れて行ってもらった鈴木清自身の思い出のサーカスを通して、思い出を持とうとする人間の普遍性を表現しようとしたのではないだろうか?自分の記憶の彼方にある子供心に待ったサーカスに対しての驚きと憧憬、それを写真化する。記憶を写真化することで私たち観るものの精神にも光をあてる。ジュディー&マリーが思い出はきれいだと歌ったが、思い出についての人間の普遍性を表現しようとしたのです。
鈴木清
天幕の街と私 遠い記憶の彼方にあるもの
鈴木清との出会いはなんと言っても東京総合写真専門学校の学生の時になります。友人(同じ横須賀から総合に通っていた)が鈴木清のゼミを取っていて、学校の掲示板に掲示されていた日本写真家協会新人賞受賞「天幕の街」のポスターにあった写真(象と飼育員)が気に入ってその友人を通して「流れの歌」、「天幕の街」、「ブラウマの光」の三冊を7千円で買いました。
当時の私は写真とはスマートでカッコのよいもの(今でもそう考えているところがあるのですが)という考えが強くてアンセル・アダムスの風景写真やエドワード・ウィエストンのヌードにどっぷり状態でした。
鈴木清の写真を始めて見たときはプリントの粒子があらく、階調は飛んでアンセル・アダムスの写真に比べたら天と地ほどの差があります。ですが、当時は森山大道や中平卓馬同様、荒れた調子の写真、いままでの写真の既成概念に対して挑みかかるような写真が新しい写真のスタイルとして認められていたので、鈴木清もその範疇に入る人なのかなと漠然と思っていました。ただ、鈴木清が違うところは、森山大道の写真は街、都市、社会といった現在進行形の時間に対してリアルに同調していたのに対して、廃坑になった炭鉱、炭鉱夫、サーカス団の団員、路上のホームレスなど一見すると土門拳から引き継がれたドキュメンタリズムとでも言うのでしょうか、なにか古臭いイメージを持っていました(後年これがとんでもない勘違いであることに気がつきました)。
トッド・パパジョージ
女子マラソン 1978年
社会進出する女性達の元気よさ
リー・フリードランダー
アルバーカーキー、ニューメキシコ 1972年
これぞアメリカ文明
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ロバート・フランク
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輝く空っぽなハイウェイ
鈴木清 天幕の街 1983年
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るみえちゃん